うらやましい
純が言いかけたのが、「うらやましい」なのかどうかは、ずっと疑問で、たぶん純曰く(4)とかで明かされるんだろうな、とは思うんだけども。次の純曰く……18話くらいになるのかな、流れ的には。
うらやましい、というと、私は、「トレンド入りしてたから読みに行ったら続きがたくさんあった」とか言ってる人のことがうらやましくなったりする。初見で次から次へと夢中になって読めるという体験は、私には二度と手に入らないものだし、そのために数ヶ月なり更新を追うのをやめるなんてこともできやしないから。トレンドに入らないと気づきもしないし、思い出しもしない程度の……が、心底……う……(超強火)
とか、自分の気持ちを乗せてみると、純、本気で「幸せそうで憧れるくらいにうらやましい」なんて思ってないんじゃ……? としか思えなかったりするくらいに、「羨ましい」以外の感情がモリモリ搭載されていく。
純も四階に病院すすめてないで、自分もカウンセリングとかで話したほうがいいんじゃないの? ってくらいに、幼少期に愛情の形や人間関係についての観念をこじらせてしまった感じがあるから、むしろそこを古印先生の言語化能力で解きほぐしてあげてほしいように思うけども、素人同士でカウンセリングの真似事をするのは、このふたりには特に危険な気はする。
表紙の純が菩薩として、菩薩は悟りへの修行中ってことだからまだ煩悩たくさんで、矢晴食べちゃうとこかわいいんだけど、それが示唆するのは、なんだろかな? 民(矢晴)を助ける菩薩に見せかけた何か、的なものなのか、矢晴を取り込み悟りを開く、なのか。ラストページの純は、矢晴の言葉の中に古印先生見出して欲望まみれの悟りを開いた風味には見えたりするよなあ、とは思ったり。
この表紙絵に関する色んな人の解釈聞きたいなあ。
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