なぜ矢晴は
なぜ矢晴は自らドツボに嵌りに行くのか。
純の行動、思考を「性欲」だと定義づけて、その結果、『それがいいな』と純が受け入れてしまったのだけども、これは矢晴の望んだ結果なのかどうか。
胸ぐらを掴んでいた手を解かれて握られて、というシーンでは矢晴は愕然とした顔をしているから、そんな反応が来るとは想像していなかったような気がする。
人畜無害だった純を矢晴自ら目覚めさせ、暴いてやるつもりだった本性は、矢晴が植え付けたものになったような気がするわけだけど。
なぜだかわからないけど慕われて、なぜだかわからないけど援助されて、なぜだかわからないけど……と、純の行動も思考も、矢晴自身には理解できない、したくないものだったから、わかりやすいものにしたかったのは矢晴だろうから、矢晴の望み通りの展開なのかもなあ、とは思える。
古印葵じゃなくて、福田矢晴を見ろ、みたいな気持ちがあったんなら、結局のところ、逆効果になってしまって、純の『古印先生……』という呼びかけに絶望の気持ちを抱いたかも知れないな、とか思う。
「逃げられない矢晴に執着を超えた好意を向けるんなら、性欲であれ」って言ってるようにも聞こえるんだけどなあ。
矢晴がどこにも行き場がなくて、逃げられないのは事実なのかもしれないけど、純の庇護から外れたら生きていけそうにないし。でも、そこに居心地のよさを感じて、逃げるつもりもなく、純の全てが欲しい、って思い始めてたのは矢晴じゃないの……?
あの激昂して純を責め立てる矢晴の話すことが、どうにも論理が破綻しているなあ、と思えるんだけども、それはやっぱり蟲でぐるぐるしちゃってるからなのかなあ?
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