私もそれがいいな
【第15話】の更新からそこそこ経過し、いろいろぐるぐる考え続けて、頭のなかで渦巻くものをどんどことキーボードにたたきつけてきたけども。
自分もそこそこ落ち着いてきた。
純が自分自身をも誤魔化して“慈愛”という解釈に寄せて納得したつもりになっていて、どうにか自分もその解釈を肯定できる行動をしているつもりだったところ、矢晴が古印葵ばりの鮮烈な言葉でもって、別の定義、解釈を与えてくれたから、『私』『それがいいな』になったかな、という解釈が、当座のところ。
次の話やら純曰くやらでひっくり返されるかもだけども。自分で読み返して違うじゃーんってなるかもだけども。
『なんでもするし』『なにしてもいいよ』の純の顔がエロかっこいいし、そしてまた、純の目を見つめて、目を逸らすこともなく真剣に、純を罵る矢晴のかっこいいこと、かっこいいこと。
ただ矢晴の解釈も多分に、自身の感情棚上げして、純に転嫁して責め立てて、という感じはするから、狂った解釈を狂ったまま受け取って、ふたりで狂う、くらいのこの先がかなり心配かもしれない。わくわく。
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