理解者

 私は純が矢晴のことを“理解”しているとは思っていなくて、ただ、純は矢晴の漫画の“理解者”ではあると思っている。純が古印葵のことを、自分には分析しきれない、把握しきれない、と思っているところも含めて。矢晴が漫画で表現した“わかってほしいところをわかる”人だと思う、純は。

という考えに私は固執している。矢晴も自分自身をわかってもらうより、作品をわかってもらうほうがいい人だったりしないかなーと思っちゃうし。


理解あるうんちゃら、の“理解”がどういうところを指すのかよくわからんのだけども、「私のことをすべて理解ってくれてる」的なのか、「病に対してすべて理解している」的なのか。

そのどちらも、烏滸がましいな、と思うけど。そういう系統のを読めばどういう概念かわかるのかもしれないけども、興味がないので読みたくない。


というのを、支部のコメント欄で長々と煽り合いながらケンカしてるのを眺めて苛つきながら思ったりした。関係ない話なんだけど。他人の家の茶の間でなにさらしとんねん、って気分にはなる。


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