夢見がちな蓮
【第17話】の浜辺の純の『海水には夢見がちな蓮も咲くまい』というセリフが好きで。この言い回しも「漫画みたいなセリフ」と思えるので、実はブーメランしてないか? と思ったりもするけども、純が純に投げてるんだから常にブーメランだわ……と思ったりする。
古印葵に心酔してる純が夢見がちな蓮なんだろうなあ、と思うのだけど。だからこの海に溺れに行ってる純のところでは、あの乙女な感じとかノーテンキに蓮を咲かせて矢晴を褒め称える感じの純は出てこないのだなあ、と思うと、やっぱり【第16話】表紙の全開の笑顔で納棺されてる感じの純は、やっぱり棺に入れられてるってことなんだろうか。
今後、古印葵に心酔してる感じの純は出てこないのかなぁ。あの純が古印葵を崇め奉っててふたりのバランス崩してるようなものではあるから、純と矢晴が対等な人間関係を構築するとなると、出てこないほうが良いと言えば良い……でもさみしい。
矢晴の心の中の情景であるのか、純の想像する矢晴の心の中であるのか、海の感じは日本海って感じがする。この海が「古印葵漫画の世界」の象徴として純が想像する感じとして、考えると、【第6話】の夜の海も、純の想像する「古印葵漫画の世界」なのかな。あの立ち尽くすような人影は、浜辺の純だったりするのかな。
とか、考えると、私が若干拒否感を感じてしまう『絶望してる時に〜』からの一連のモノローグは、「古印葵を助ける」という使命感に酔ってる純の思考、とも考えられるかなあ、とか、飛躍しつつ。やっぱりどうにもこのシーンだけは、第四の壁を突破してくんなと拒絶したい気持ちにかられるんだけど、浜辺の純が、純に対して言っている、と思うと、突破してくるような問いかけになるのかもしれない。
浜辺の純は、純の理性だろうな、とは思ってるけど、純自身が知りえないことも知っているような、純自身からは到底出てきそうにない発想をしているような、気もしてしまう。すべての事象を客観、俯瞰で見ている立場の純の思考ということにはなりそう。
夢見がちな蓮を咲かせる純は、古印葵に心酔している自分に酔っている感じ、とも思えるから、矢晴のことも古印葵のことも見てない純なのかもしれないな、と思い始める。
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