純の解釈によるところの矢晴の気持ちで、純自身が純のことを「醜い上薗純」と言うのが、気になる。

外見的な美醜でいえば、かなりの美丈夫だと思うのだけども、純自身の自認が「外見が醜い」なのか「心根が醜い」なのか、矢晴には「醜い」と思われている、ということなのか、よくわからんが、醜いらしい。

ここの純の言うところの「醜い上薗純」が、子供時代から大学生、アシ時代までの純の顔が執拗に描かれないことと関係があるのかどうなのか、気になる。


矢晴が純に認めさせたい「私達の醜さ」がなんなのかも気になる。純と矢晴それぞれが醜くて、ふたりとも醜いからの「私達の」なのか、ふたりに共通する、共有している「私達の醜さ」なのか。

醜い、ってどんなよ?

矢晴が純に抱いていた感情を表していると思われる蟲は、醜いのかな。純が想像した矢晴の蛸のような怪物は醜いのかな。純の古印葵への気持ちや矢晴を世話する動機が醜いのかな。ふたりの関係が、醜いのかな。お互いへの気持ちが、醜いのかな。


見た目に美しくなく、不快、気持ち悪い、という醜いなのか、嫌な感じ、不道徳な感じ、気持ち悪い、という醜いなのかで違うけど、なんだか反射的に、「醜い上薗純」は前者で、「私達の醜さ」は後者で、考えちゃったな。


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