相互理解

 記事タイトルはそのままテーマにしたい語でそんなに考えてるわけじゃないから、同じタイトルの記事が乱立してんだよなあ、と思いながら、また同じタイトルで立てる。

【第17話】で純が『ひゅっ』となり、『パニクって気道が矢晴とお揃いになったじゃん』と思い出す、矢晴の語った相互理解の話。【第13話・後編】の同居21日目の、座っている矢晴を横たわって手を組んで憧れのポーズで見上げていたあの時。

矢晴、美人さーん、と明後日の感想を持ちつつ。

『「相対的に同じ条件」で想像しなきゃ相手の環境を想像できたことにはならないし相互理解も進まない』という矢晴の話を、「矢晴と同じパニック状態の過呼吸になった」からと『ああ』『そうか』と理解する、純。

え? そうか……? と大丈夫なのか心配になるんだけど。矢晴の話は、そういうことでいいのかどうかも、私には理解できんのよ。話が断片しかないからってのもあるけども。

その翌日だか数日後だかには【第12話】で『どれだけ本やネットや人の話を漁ろうが体験しようが知った気になるだけで全知は不可能だ』と、相互理解の話を否定しているようにも思えるし。相互理解のための想像についてと、相手の病症についての理解についてじゃ話が違うから別に否定したわけでもないんだろうけど。

むしろ、相対的ってなんなんだ? レベルでわからんくなってるから、なにもかもわからんのだが。

純はたぶん、頭のなかのたくさんの純の思考に呑まれかけ、パニックを起こして呼吸に異常が出て、海に顔をつけられて溺れそうな感じ、を矢晴が今思考に呑まれているのと同じ状態だ、と理解したのかなー? と思うんだけど、ここで「体験しようが全知は不可能」という矢晴の言葉がチラついてしまい、それ、わかった気になってるだけじゃない? という気分になる。

結局のところ、わかっているのかわかっていないのかわからん状態で『君が分かってきたぞ』『やった』『やった!』とはしゃいだものの『現実逃避してる場合じゃない。』と正気に戻る。

純が理解したと思っていることが本当かどうかもわからないから、結局わからないままなんだけど。

なんかこう、純の思考で語られる矢晴のこと、「浅い!」って純のドタマアタックしたくなってくるのよねえ……。


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