モノ扱い、ペット扱い
純がそこまでひどいモノ扱いやペット扱いをしているとは思わないけども、矢晴を台車で運んだり、うめいてたり動けなかったりする矢晴の扱い方は、モノ扱いとかペット扱いとか言っても差し支えないような気がする。
そして今回の純の思考の中で、矢晴のことをやたらと猫にたとえていたりするから、純にとっての矢晴は大きな猫なのかもしれない。愛玩動物。
見た感じ、割と育児だし。ペットの世話といっても納得してしまうくらいに、矢晴の人間としての尊厳には無頓着な感じもしないでもなく。古印葵を崇め奉ってるからか、矢晴の愛で方にもずいぶんと常軌を逸した雰囲気はあり。
とはいえ、うつで自己否定しかしない相手に、その自己否定を肯定するような言動(君はダメだ的なことを純が言う)はNGだろうなと思うから、純が矢晴を全肯定して受け入れてる状態ってのは、矢晴にとっては“良い環境”と思ってるんだけど。
そんな全肯定で受け入れられてる状態も、また矢晴の自己否定の材料にはなるからダメなのか……? どうなんだ?
そもそも引っ越してきた時に純が矢晴に『人間らしく振る舞わなくていいですよ!』と言ったことがダメだったのかどうなのかと、悩み始める。
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