変容

 矢晴は純と出会って自分が変わること、純と過ごして自分が変わることを恐れているけども、すでに病を得て、それ以前の自分から変容しているのだし、純の働きかけは、病を得る前の矢晴を取り戻したい、というものかなと思う。

矢晴は、現状の病を得ている自分が、本来の自分自身だとは思ってないと思うんだけども、純を好きになってる自分が馬鹿だから見たくない、というのも、病を得て本来の自分ではないものが、さらに純を好きになって自分じゃなくなる、という負の連鎖みたいに思ってたりするのかな? と考えてみる。

純を好きになったからバカになったわけでもなく、純を好きな自分を馬鹿にしてるでもなく。純に会うより以前に病を得てしまった時点で、矢晴の本来の性質から考えればバカになっちゃってるし、本来の性質と比べて劣ってしまった自分自身を自分で嘲るのが常態化しちゃって、そうやって自分で追い詰めていくからどんどん病が進行し、という悪循環なんだろうなあ。

それこそ、本来の矢晴じゃないものが純を好きになった、ということが、自分の純への気持ちが本当の恋だとも思えないとかもあるのかも? とか、思ったりもする。

純への恋が、本来の矢晴を取り戻すのに有効なのかどうかというと、いいことだと思うんだけども、本来の矢晴に戻った時に、純への恋は病が見せた幻だった、みたいに矢晴が思っちゃったりしたらさみしいかもなあ、と考えてみたりする。

いや、このふたりは幸せになるんだからそんなことはあるめえよ。

純自身は、現状、矢晴のことを、薬を飲んでいない状態とか病症が強く出ている時を「病気の矢晴」として扱っていて、本来の矢晴とは区別している感じはある。

その区別がいいものなのかどうか、というと、同居1ヶ月目の夜の矢晴の言うことを聞く分には、純は矢晴の一部分しか矢晴と認めてなくて、すべてを受け入れてくれない、という嘆きには聞こえる。でも、矢晴の病を絶賛するようなことがないのは、いいことだと思うんだけどな。

純は矢晴が自己肯定感を取り戻して、表現者として生きていくことを望んで、あれやこれやと世話を焼いてる状態かなと思うんだけども。

このまま矢晴が元に戻れなかったら、と思うと矢晴としては、純の望むとおりに元に戻れない自分は無価値という思考が強化されてって、元に戻れないかもしれない。

病気になる前の元の矢晴に戻る、のがいいことなのかどうかもわかんないなー。という気がするんだけども。それこそ、”野心的に前向きに”、変容を続けるほうがいいんじゃない? とか思えたりする。

ただまあ、変容した結果、純の求める古印葵でなくなったら純に見限られるかもしれない、という不安を抱えてるだろうから、どないもこないも、とぐるぐるし続ける。


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