描かない理由

 「描かない理由」とか「描く理由」とか「描けない理由」とか、創作するのに理由なんてものは必要ない、という純の主張はとても真っ当だけども、純自身が「自身の創作が世に認められていて、創作を阻害する要因が発生しない状況・環境に恵まれている強者」であることを考えると、とても傲慢に見える。

矢晴は今現在、「描きたい気持ち」を押し殺そうとしているかとは思うんだけども。

だから「描きたくない」とは言えずに、『描かなくて済む』だとか『描く理由が見つからない』という言葉になる。純が“わがまま”にと「描きたくない」と言えばいいんだと言ったところで、それは心の底の欲求とは異なる言葉で、嘘になるから、言えない。

「今は描きたくない」と言えば嘘ではなくなるけども、描けるようになる時期が来るのかどうかも自分でもわからないのだから、「描かない理由」を並べ立てたくなるのだろうな、矢晴は。と思ったりする。

【第11話】のコタツで、純がクロッキー帳持ってきたときに『絵は描きませんよ』と素直に言えたんだから、それでいいと思うんだけどなあ。

【第1話】の『描きたいものがなくなった』『思いつきそうになると脳から否定の声が聞こえて』『自分の意志もそれに同調するようになった』という状態が今も健在なのだろうから、「描かない理由」を探し求めるのも、否定の声が出てこないようにするための防衛なんだろうかな、と思う。


ただやっぱり、創作するのに理由も意味もいらない気がする。

「描きたいから描く」「書きたいから書く」「表現したいから表現する」「作りたいから作る」という気持ちと行動だけだと思う。

「創作する意味」とか考えたって、どこにもないと思うし、意味を付けたいなら自分で勝手につければいいけど。

「売れないなら作る意味がない」だったら、「売れるものを作りたい」のか「自分の創作が売れて欲しい」のかで、作るものが違ってくるし。

矢晴は作り出したものを「これは売れない」と他人に切り刻まれて、ボツにされ続けてきたわけだし。自分の創作を他人に否定され続けたこの数年間を考えると、描きたくても描けない気持ちのほうが強くなろうて、と思う。

「売れようが売れまいが、自分の作りたいものを作る」というところまで気持ちが盛り上がればいいんだろうけど、売れないと生活が成り立たないなら、作れなくなる。

という辺りを、デビューしてすぐ売れっ子になって衣食住の心配が要らなくなってしまった、ある意味世間知らずな純には想像が及ばないだろうなと思うから、純が矢晴の気持ちを理解できる日は来ない気がする。

けどけど、純が矢晴の衣食住を保証して、自尊心やら自己肯定やらが復活して、創作活動にだけ専念させてくれれば、描きたい気持ちのほうが勝ってくるんだろうな、とは思うんだけども(あと数ヶ月でその領域にいくはずなんだけど、純のどんな働きかけが矢晴の気持ちを動かすのか……先が読みたい)。

それはそれで、矢晴が「稼ぎもしないで金持ちの純に寄生して世の中の役に立つわけでもない自分の創作をしているクズ」みたいな思考になりそうなのよねえ……とは思ったりする。


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