スーパーマン

 またまたアンケートに回答が1件増えていて、ありがたや。特に好きな話の設問の回答がわりとバラバラできれいな風車に見え、人それぞれ感じ入るところは違うんだなあ、としみじみしている。

今のところ4話分の得票数が同じで並んでいる。どれか突出したらピックアップして改めて感想を書こうかな、とか思ったりもしている(という、回答数を増やそうとする作戦)。

と、雑談風の開始で、要約部分に本題が出ないようにした。

この記事は、作者さんのSNSによる解説文を踏まえてのものになる。(こっちには持ち込まないようにしようと思っていたけど、これはどうしても、今書いている【第19話】の感想が変わってくる部分にひっかかる。そして見なかったこととしての感想はもう出てこない。)


怒涛の更新によって、矢晴が『漫画を描く理由が見つからない』と言ってからの巨大な純が詰め寄るところと、その後、矢晴が純を『お前はスーパーマンなんだよ』と言ってからの一連と、をじっくりと考えたくて後回しにしている間に、矢晴が純にしていた“勘違い”と矢晴の言った“スーパーマン”に関する解説が来てしまった……! という状態で、考えるも何も……みたいな状態になった。

ただ、まだ考えたい部分は残っているので、それはまたじっくり考えたい。

さてさて、矢晴の言うところの“スーパーマン”。

私は、この“スーパーマン”という言葉を「なんでもできる超人」「ありとあらゆるものを持っている超人」として受け取っていた。なので、矢晴が純に『お前はスーパーマンなんだよ』と言ったときには、純の「衣食住の心配がいらなくて漫画だけに専念できる環境を持っていること」だとか、「漫画の才能があって売れている現状」だとかを指すものかな? でも、矢晴も『私もスーパーマンだったと思う』と言うから、矢晴も「漫画だけに専念できる環境を持っていた」ということにはなるかな、あるいは漫画に対して無敵な気分という意味の“スーパーマン”かもしれないな(ちょっと考える余地あり)、という感じの受け取り方をしていた、と思う。

純も矢晴も共通して“スーパーマン”だった、を考えると、「漫画だけに専念できる環境を持っていた」にはなりそうなんだけど。矢晴は一時期とは言え漫画だけで生計を立てていたわけだし、その後『他人や貧乏からその動機を剥がされる時が来る』という状態だから、矢晴はB誌やそこで採用されない漫画を描き続けている間に貧乏になり、A誌に戻って貧乏と自分の望まぬ修正を受け入れ続けた精神的苦痛などから、“スーパーマン”でいられなくなった。漫画を描ける環境も漫画に夢中になれる状態も失ってしまった、という感じで。

そもそも、矢晴の辞書の“スーパーマン”と私の辞書の“スーパーマン”の語釈が違うから、正解にたどり着くにはずいぶんと遠回りするか、正解にたどりつかなかった可能性の方が高い感じだったかなあ、と思う。

ただまあ、矢晴も元気な状態だったら「三度の飯より漫画好き」で純と同類じゃん、というのは以前から思っていたけども、矢晴の言う“スーパーマン”が〈三大欲求のひとつに創作が加わってしまっている生き物として違う人間〉(作者SNSでの解説より・誤字修正)という「人間を超越した」という意味であるとわかったことで、このシーンに対する理解は飛躍的に高まった。

やっぱり純も矢晴も三度の飯より漫画好きで、創作してなきゃ死ぬ人間ってことでいいんだ!

と、安心はする。

ただまあ、矢晴の言い方はわかりにくいし、たぶんこれ純にも通じてないんじゃない……? みたいな気分にもなるし、解説しないで本編で純が気づいて“スーパーマン”って言葉と結びつけるかなんか、したほうがよかったんでは……? という気にもなるんだけど。純自身は【第20話】で「創作依存症で、漫画が気持ちいいから、3次元に欲情しない」と言っているから、実は結びついているのかもしれないし、あとちょっとで結びつきそうな感じもあり。後々、言葉がつながる瞬間が描かれるのかもな、とは思ったりする。


解説は解説で、とても読みたいし、自分の読んでいたものが作者さんの表現したいものであったのかどうかの答え合わせもしたいので、これからもたくさん語ってほしい気持ちはある。


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