あの日あの時あの場所で

 だんだんと、特定の日を指すための「あの日」とか「あの時」「あの場所」とかの指示語が増えてきて、自分ではどこらへんのことを言っているのかわかってるし誤解を生まないように補足しながら書いているつもりではあるけれど、大丈夫なのか不安になる。

同居1ヶ月目のあの夜、と言えば、一緒のベッドに入って矢晴が激昂してから、約束の印鑑を捺せと強請るまで、にはなるんだけども。

話はそれるが、本編で矢晴は「強請り(ゆすり)」というが、私は「強請る(ねだる)」としていたりする。同じ漢字を使いながらもこの語感の違いよ。甘え方の差よ。いやだって、矢晴の『約束するならあれやれよ』はおねだりでしょう?


「あの日あの時あの場所で出会わなければ」みたいに矢晴が考えたとしたら、11月はじめの編集部での出会いになるだろうし、「あの時あの部屋から引きずり出してよかった」みたいに言ったら、純が言ってて、矢晴のアパートから純の家へと引っ越しさせた頃合いで。

「あの」って便利な言葉だなあ、と思っているところ。

だいたい、「あの夜」は同居1ヶ月目の夜をさして、「あの朝」はその翌日の朝チュンだけども、これからまたいろんな夜や朝が来て、「あの」ってだけでは通じなくなるんだろうなと思うのだけど。

「あのコタツでの一幕」と言われて「思考の共有」が浮かぶ人と、「お前と両想いになれる奴はいないよ(キッ)」が浮かぶ人と分かれてしまうだろうし。

「あの」とつけることでなにかしらの重大事があったポイント、とはわかるけども、それぞれが想起するポイントは違ってくるから、言葉って難しいよね。


というのを考えながら、純と矢晴の認識と言葉の齟齬について考えをめぐらしている。


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