自己肯定
純の言っている“わがまま”は自己肯定なわけだよね、と、考える。
傍若無人にふるまえ、ふるまう、ということではなくて。自分の軸がどうこう言ってんだから、“わがまま”ではないんよね? とは思う。
ただ、純は恐ろしく自己肯定感が高いわけだから、軸を持って行動できてるだろうけども、矢晴の自己肯定は純が分析したとおりに破壊されたまま。
自分を肯定できずに、無価値だと思ってる人間には、純の言う“わがまま”な行動・思考は無理なんよ……。
だから、矢晴の“わがまま”は純を傷つけて愉悦を得るみたいな方向にいっちゃうんじゃないか……? と思う。“わがまま”にふるまえと純が言ったから。純が矢晴のなけなしのプライド破砕して辱めてきたから、その仕返しに。
はーーーー……、純のおばか。
それにしたって、矢晴もやりすぎじゃんよ。純の悩みを知らない故としても致命傷だぞ。
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