羨ましいと憧れと
純が『私は心底……う』と言いかけて『幸せそうで』『憧れたんだ』と言い換えた。
純の話を聞く分には、そして、回想部分までを含めても、憧れるか……? と疑問しか出なかったりするんだけども。
言いかけた言葉が「羨ましい」として、「憧れる」との違いはといえば、羨ましいには妬みの気持ちが含まれて、憧れにはそうなりたいという理想が含まれる、といった感じなのかな。
純は極力ネガティブな言い方はしないように、チクチク言葉は使わないように努めている感じがする、とすれば、「羨ましい」を「憧れる」と言い換えたのかな? とも思える。前の晩にチクチク言葉満載のこと言って、矢晴に怒られたし。
いや、羨ましいか……?
純の話を聞く分には、どうしたって、病気で死にかけてる大好きなお父さんに、その友達が「さっさ死ね」みたいなこと言ってきて、「死んだら骨拾う」言ったのに結局拾わんかった嘘つきやんけ……。みたいにしか思えず。それを必死でどうにかこうにか美談風に思い込もうとしている純の健気さは感じる。
純の話を聞かずに、単純に、病気で余命幾ばくもない男に、その友人が「死んだら骨は拾ってやる」(後のことは任せておけ)と言った、というエピソードは、確かに、長年育まれた友情を感じられると思うのだけども。
ここで純が『焼いた骨は家族しか拾えないし常套句の冗談だって分かってたよ』と言ってしまうと、矢晴に言った『あなたの亡骸は私が拾いたいんです』も常套句の冗談になってしまうんじゃないのか? 大丈夫か、純!? と、心配になる。
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