比喩表現

 Twitterで興味深い考察を見かけて、なるほどなるほどと思いながら、違うことを考える。

純の言葉の比喩表現。

顕著なのは【第13話】の過去回想の『マイナス思考で頭の中がからまったイヤホンケーブルみたいになっちゃいます』と、同居21日目の『固い瓶のフタは急に開く!』だろうかな?

わりと独特な比喩表現を使うな、という印象はある。漫画のセリフっぽくもある。

矢晴が比喩表現を使うのは【第13話】の『水面のない海で溺れてる時知識なんてほとんど無力です』、【第16話】の壊れた車の話。どちらも純視点。

とすると、純曰くは、上薗純の語りによって矢晴の言葉も脚色されているかもしれないな、とも思える。

漫画として演出されている上に、キャラクターそれぞれの語る話としての脚色が違って、とか漫画がうめえ……としか言えないが。

これが実は矢晴視点と思っている話を純が描いていて、純曰くを矢晴が描いている、だったりしてもおもしろいかな、と思い始める。

矢晴視点のほうが「言葉が親切」だから、というだけのことだけども。

でも、矢晴は【第11話】で『こっちの脳はまだ5駅前で停まってるのに』とか『新幹線(こ)の席は暖かくて座り心地が良いせいか』と言っていたりするし、純が矢晴に言った『マイナス思考で頭の中がからまったイヤホンケーブルみたいになっちゃいます』『目の前にあるものを意識してみてください』は矢晴視点で『その絡まったイヤホンケーブルみたいな頭の中を見てないで』『目の前だけを見てください』と変換されているものの、言葉が同じだから、純の言った「からまったイヤホンケーブル」なんだよなあ、と、浮かんだ仮説はすぐに却下されることとなる。

やっぱり古印葵は比喩使わないで、矢晴と純は比喩使う、みたいな感じだったりするんだろうか。

純のその独特な比喩表現は誰の影響なんだろう……? と新たな疑問を。


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