下心
純の行動に、下心があるのかどうか。
語釈によれば、下心は「表に出さずひそかに考えていること。本心」と「悪巧み」とあるので、純にあるのは悪巧みではないほうだけど、矢晴には悪巧みがありそう、と受け取られているような気がする。
ただ、純って、矢晴を家に同居させたいって思っての【第4話】で、本心全部言ってる気はするんだよな。その裏側にある“慈愛”はその発想に至る体験というか記憶というか自体から歪みまくってはいるけども。愛はまっすぐだと思うんだー。
「どん底で弱った人間を自分の思い通りに操りたいと思ってる」って矢晴は思ってるような気がするけど、純にとっては「好きな人がどん底で今にも死にそうだから助けたい」ってだけだと思うし。「なんで矢晴を」には「好きだから」しか言いようがないし。
とはいえ、ここで語りたい「下心」は「恋」の話だったりはする。
「恋」は「戀」で、糸と刃物と口と糸と心臓。糸言糸に下心。と文字の成り立ちを見ていたら、「古印葵を紡ぐ」と「言葉のナイフ」と連想し。
矢晴の紡ぐ言葉に心臓貫かれてるねえ、純! と、心わきたつ。
【第15話】の激昂した矢晴の、それが性欲かどうかについては議論の余地がありすぎるくらいだけども『性欲を慈愛だとか清潔な言葉で飾りやがって』『きったねえ欲望を蓮華座に乗せてんじゃねーよ糞野郎』の言葉選びときたら、純がぽーっとして、ドキドキして紅潮してうっとりしちゃうのも、わーかーるー! くらいには、素敵だし。
「糞野郎」なんてひどい言葉で罵ってんのに、純が恍惚としてるなんて、矢晴にとってはこの上ない恐怖体験になってそうだけどもさ。
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