古印葵ファン

ここしばらくずっと自分が書いてきた感想などなどを読み返してるのだけど、途中からペースがおかしい感じではあるけども、文章にして頭の外に追い出すからわりと何度も同じ話をしてはいるけど、それなりに核心ついてたり完全に逸れてたりの感じがおもしろいなと思いつつ、今月あとちょっとで100記事になるんな……ということに気づいてしまった。今月前半は【第15話】の勢い衰えずでそれなりの記事数になってたけど、【第16話】についてもそれなりどころかの勢いにはなっていたのだな、と思う。

さて、古印葵ファンの純について。

純が今、古印葵をどのように好きなのかなにが好きなのかが、若干わからなくなるような狂い方をしてくれたので、純は果たして古印葵の漫画のファンなのかどうかまで疑問を持ち始めてしまった。

最初は、古印葵の漫画に心掴まれていたかと思うのだけど。矢晴は『漫画も』『忘れたくないと思ったモノや感情を取り込んで形にしてます』というから、純が惹かれているのは「古印葵の忘れたくないもの、感情」に惹かれていると思う。

技術的なところ(正解を選ぶペンタッチやらページ構成)なんかも憧れで理想で、とは言うけども、なによりも「古印葵の漫画を読むことが気持ちいい」というのが一番なんだろうと思うのだけど、「古印葵の漫画という形で触れる福田矢晴の世界」が好き、ということになるのかな。

大好きな作家の惨状を目の当たりにして、助け出して、身近に置いて。

『あなたの世界が好き』『けど描けとは言いません』『幸せになって欲しい』とか、『瓶の中身が漫画にならなくてもいい別のものでもいい』『けど開かないからって理由で瓶を放り投げるな!』『私じゃ古印葵を紡げないのは私が一番知ってる』とか、『創作者のフィルターを通って濾過されたものが作品のこだわりとして表れる』『私は矢晴のフィルターが好きだよ』とか、折々、矢晴の世界があれば、漫画でなくてもいいのだとは言い続けている。

『ペンを持たせたり漫画の話をしたりしてますが』『辛くないですか?』と問いながらも、『それともただの私の欲望なのか』と純が古印葵の復活を夢見る欲を正直に告げていたり。

身近に置いたがゆえに、「古印葵の漫画のファン」だった純が、「漫画家古印葵を崇拝する狂信者」になったかというと、身近に置く前から狂信者だったよな、という気はするので、「崇拝する古印葵を生み出した福田矢晴という“神”に仕える」みたいな感じでもあろうかな? とも思えたりするけども、「古印葵として描き出す世界を持つ人間としての福田矢晴」に惹かれているようにも思うので、矢晴を身近に置くことで過剰な神格化をしなくなったようなするようになったような……と混乱してくる。

矢晴の印象では、純は「漫画家である古印葵を崇拝し、矢晴のことは幼児や病人として扱っている(憐れんでいる)」ということにはなるような気がするんだけど。

そこらへんは多分に矢晴の決めつけが含まれていて、実際と異なる気がするけども、やっぱり純が『私はあなたの言葉を着たい』とかおかしなこと言い出すからそうなるんであって……と、純のおばか、と責めたくもなる。

いまのところ、矢晴はそこまで「古印葵的な」世界の見方をしていないし、純に対しても古印葵の世界を見せるところまで行っていない。純は激昂した矢晴の言葉に自分の欲しいものを見つけてしまったがために、常軌を逸した狂い方を露呈してしまったけども、それが果たして古印葵の言葉であるのか世界であるのか、は、「病症がもたらしたもの」として純自身が「違うこと」に気づいたかと思う。

古印葵の世界に酔った、というよりも、古印葵が自身の欲しいものをくれたと思い込んだ純が狂った、という感じではあって。

そんな感じだから、純は古印葵のなにが好きなわけ……? と疑問が生まれる。

たぶん、これまでに触れた古印葵の漫画の中に、自身の欲しいものがあった、自身では名付けられない、分類できない事柄に名をつけ分類してくれる言葉があった、とかの経験からの盲信と餓えがあったんではないかな? みたいな気はする。

『私』『それがいいな』と言った時の純は『古印先生……』と呼んではいても、古印葵すら見てなかったよね? と思ったりする。貴様、それでも古印葵ファンか!? とビンタしたくなったりもする。

純のおかしな狂い方を見ると、古印葵の漫画って、実は純だけが狂ってるだけで大したことないんじゃない……? みたいな気分になるから、おかしな狂い方はしないでほしいな、純。


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