理解あるうんちゃら
ちょいちょい、【売れうつ】を読んでないというか、読もうとしない層から、「どうせ理解ある彼くんがどうこうってやつでしょ」的なコメントを見かけていて。
私自身はその手の「理解ある彼・彼女が、支えてくれたからうつから立ち直りました」系のものに興味がないので読まないから、「理解ある彼くん」がどんな存在なのかとかもよく知らない、わからないのだけども、それを唾棄する層がいるらしいことは見かけた。それらに興味がない私は、唾棄する側にいるのかもしれないな、とも思う。
「そろそろ、独りでうつから立ち直りました系のものが見たい」とかのコメントも見かけたことがあるけども、独りで立ち直った人がいないから存在しなくて、立ち直れなかったから【第12話】で矢晴の言うところの『死人に口なし』なのではないかな? と思った。
理解あるうんちゃらを知らないので、比較して、純が理解あるうんちゃらなのかどうか、の判断はつかない。
とはいえ、【第16話】によって純の一部分が明らかになったことで、ボーイズラブにもならない共倒れの未来しか見えなくなってきた気分になってきたから、むしろ、純がただの理解あるうんちゃらだったらよかったのに……とまで、思いもする。
「純が支えてくれたおかげで立ち直れました」「矢晴のおかげで人に欲情できるようになりました」が終着地点になるのかどうかもわからないけども、現状「無/非性愛者」として純が描かれてしまったので、「無/非性愛者という異常者から、性愛者である正常者になれました」系の着地をされたらとても嫌だなあ……とは思っている。さすがにそんなひどい着地をするような作家さんではないだろうとは思っているけども。
純が自分のことを包み隠さず矢晴に言って、矢晴から「それが純」というラベルをもらって自己受容……? というのもなんか違いそうだし。
自己受容ってなんなんだ……? それっぽい定義のそれっぽい言葉で書き散らして考えてくと、言葉そのものがわからなくなる……。合ってるのか……? わからん……。
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