死んだと思って…死んでない
勝手な解釈、仮説によって、「純は、好きになった人が死ぬ・いなくなるから、それがトラウマで、人を好きにならないようにしている」として、【第4話】の『古印葵が死んだとしてもこうして話せるなら』と【第10話】の『まだ古印葵は死んでない』を思い出し、読み返し、勝手に感動を倍増させている。
自分が好きになった人はどんどん死んでく・いなくなってく、古印葵もいなくなった。病を得て古印葵は死んだと矢晴が言うけど、「古印葵という作家は死んでも福田矢晴は生きている」と「矢晴のなかで古印葵は生きている」のは、「純が好きになっても、相手は死なない・いなくならない・そばにいる」になるのかなーと思って。
矢晴の存在だけで、純をすでに救ってる、ということになるのかなーと思ったりして。
もし、こっから数ヶ月で矢晴が死んじゃったりしたら、純はもう一生誰も好きにならんのだろうな……とは思えるけども、2年以上かけて矢晴のことを幸せにするのは確定してるし、矢晴が幸せなら純も幸せだし、幸せになれるのねえ……と、未来に思いを馳せる。
違ったら違ったで問題ないけど、今はこの自分の解釈で、ちょっと幸せの道筋が見えてちょっとうれしい。
コメント