価値基準
矢晴にとって、自身の価値は、0かマイナス。人間として何も生み出さず、稼げず。承認と対価を得る活動ができなくなってて、純になにもかも依存して生かされてるだけの社会のお荷物、みたいに思ってそう。
純にとっての矢晴の存在は、対価の上限がないくらいに高価値な気がするんだけども。
「0か100か」は典型的な認知の歪みになるのだろうけど、矢晴は過去作ですら純の稼ぎに遠く及ばない発行部数だから、完全に無価値(0)として扱ってる気がする。
発行部数自体、「それを求める人間が何人いるのか」っていう承認が目に見える形になってわかりやすい指標になってるから、自身の自己肯定がなかったり自己評価の基準がなくなってたりすれば、そういうわかりやすい指標を物差しにしてしまうのもわからんでもないが。
矢晴が純と同じ王道バトル漫画をやってるなら、一応の目安にはなりそうだけども。かといって、別にうん万部、うん十万部と売上げなければ存在価値がないという話でもなし。
純にとって矢晴は唯一無二で、ほんのりそれを感じ取って、やや自己肯定が育ち始めたところで純に『それに私は大きい家に好きな人を集めて一緒に暮らすのが夢なんだ!』って言われて『自分の価値がすごく下がった気分になるのはなんでだ?』と、また自身の価値評価が0になって。
今は、純にすら嫌われる存在に成り下がった、成り果てた、みたいに思ってるだろうけども。
純に嫌われる(0)、純に好かれる(100)みたいな思考になるのも、ちょっと大変なんじゃないかなーと思ったりもする。
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