矢晴の説教

 便宜上、矢晴の話(饒舌に語ったり、激情に任せて訴えたりの長話)を“説教”と表現する。

私は、矢晴は好きだけども、矢晴の“説教”は嫌いなのかも、と思う。

心を抉られるから直視したくないとか、耳を塞ぎたいとかかもしれないし、作者の思想を矢晴を通して表現しているのが鼻につく、とかかもしれないし、正論だろうけど……と反発したい気持ちがあるからかもしれないし。ただ単純に、長台詞が嫌いなのかもしれないし。

と、理由を考えてみるけども、どれもしっくりは来ない。

全部が全部嫌い、というわけでもないと思うけど、どうだろなーって感じはある。

【第16話】の四階の話も、そもそも言い出しが、『あのクソ編集を……四階をお前がボロカスに言った時』とチクチク言葉満載で始まる話ではあるし。『どうして四階はクソになったか?』『不出来を他人に助けてもらえず壊れていったからだ』と、そもそも「四階はもとから壊れていたけど誰も援助しなかった」という前提が、ちょっと、なんだか、受け入れられない。

『不出来が原因で歪んだ思考が人に嫌われる言動として発露したら誰もそいつを助けようと思わない!』は、「愛されない弱者は救われない」に通じる話だけども、そもそも、周囲が「こいつはおかしい(不出来)」と気づくのは「嫌われる言動として発露した」後で、「そこで誰かが助ければ壊れた車を修理できる」「そこで誰も助けなければ誰も止めない壊れた車になる」という分岐があるんじゃないかしら?

と、自分で書いていて、矢晴が最初に言っていた部分は、前提ではなくて、分岐のひとつ(誰も助けなかった場合)の結論だったのかな? と気づいた。

だからといって、やっぱり、矢晴が四階に寄り添ってバックグラウンドまで考えている優しい人、とは思えないんだけど……。人間誰しも壊れた車を持っていて、いつ何時四階みたいなクソになってもおかしくないぞって話だし。そもそも、四階みたいの初めて会う人種だったってあたりがひっかかるー。B誌の編集の色眼鏡も四階と同じ人種に思えるしー。

この矢晴の話を聞いた後だと、純が四階をこてんぱんにやりこめた攻撃性は、矢晴に罵詈雑言かました四階への単純な復讐ではあったけど、「不出来を指摘し気付かせた」行為にもなるからなあ……と思えて。ここまで育ってると手遅れではあるだろうけど。いやはや、四階、純の言うことに青ざめて上司に謝れ言われて、ちゃんと矢晴に謝ってるとこ、むっちゃえらいじゃん。矢晴そんとき四階のこと『ロボットみたい……』とか思ってたけど。

って、そのシーン見たら矢晴の頬がげっそりしてて、うわ、細すぎ……と、今の矢晴のちょっとふっくらしてきた顔との違いに純との生活がどれだけ矢晴を助けているかと、改めて思ったりした余談。

話は戻して。

今回の矢晴の“説教”、前半はそれなりに社会構造とか人間について語ってるんだろうけど、純が『四階みたいになるもんか!』って言った後、後半はただ激情に任せて決めつけて純を非難してる感じだし、もうすでに矢晴がうつになってること自体が四階みたいに助けてもらえず壊れたからだって話だし、そうやって言いながら自分自身を傷つけていくしという、うつによる思考の垂れ流しみたいになってたけども。

後半は、あー矢晴、ネガティブ感情で純に当たり散らしちゃってるけど後が大変そう〜とか思って、好きなんだけど(語弊がある)、社会的だったり思想的だったりの“説教”はやっぱりあんまり好きじゃないなあ……。


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