外側と内側

 【第2話】【第13話・後編】の『体の外側のことはいくらでも見せてよ』『内側はいくらでも隠せるんだし』の「内側」は「心」のことであろうかな、と思うのだけども。

隠したいなのか、隠れているなのか。「いくらでも隠せる」というからには「隠したい」だよなあ、という気分にはなる。見せたくない、見せられないとも言えるだろうかな。

散歩に出た矢晴が『網膜からはがれない』と思い出してる純の顔は、ここのシーンだなあと思うと、顔を思い出すと同時にその言葉も思い出してたりするかな。

見えてる外側と見えない内側。

矢晴の内側は、いまんところ、純への恋心がつまってるはずだけども、単純に、純の人柄に惹かれて、とか、外見が好きで、とかの発端ではなく、純にどん底から救い出された(引きずり出された)、純に衣食住すべて賄ってもらってる、とかの負い目からの依存心を恋と錯覚してるのかもしれない、みたいな葛藤もありそうなのかなー。寄生虫よりも浅ましいって考えはそこらへんだろうし。

あと、純の表向きと内側が違うんじゃ……? という疑いも持ち始めたのか。

純の内側は、矢晴と古印葵への愛がつまってると思うんだけども。古印葵への信仰に近い執着と尊敬と憧れ。古印葵を生み出した矢晴への好意。ここらへんは表にも出してきてる感じだけども、内側ではさらに煮詰められてドロドロのんがあるかしら。

それが支配欲で性欲かは、わからん……。

守りたい、覚えていたい、忘れない、助けたい、笑顔が見たい、一緒にいたい、とか、純は全部、自分のエゴから出てることだと自覚はしてそうだけども。それを“慈愛”って言葉でくるむからおかしいわけよねえ、とは思うけど。

きったねえ欲望……なのか……?

純の愛は美しく一点の曇りもないものだとは思いはせんけど、そこまで言わんでも……よよ……、みたいな気分にはなる。

純の言うところの“慈愛”と、矢晴の言うところの“性欲”は、やっぱり私の辞書と語釈がかなり違ってそうだから、そこらの語釈を聞きたくなる。


ピックアップして【第14話】の感想を書こうって読み返してると、毎度のことながらあっちゃこっちゃと引っ張り出して読み返しちゃうし、思ったこと吐き出したいからとすぐキーボード叩くし、むしろそれは感想でやりなさいってなこともどんどこ出しちゃうから、感想もまとまらんなあ……と思ってるところ。


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