それ
【第15話】【第16話】は『〈それ〉』という指示語が多くて、「〈それ〉」が指し示すものはそれぞれあれども、「〈それ〉」が本当には「何」なのか、はわからない。
純の頭のなかの辞書がよくわからないのは意図的にズラされているからなのか、純自身がそれらを表現する言葉を持っていないのか。
【第15話】で純が矢晴の言葉のなにをもって『それがいいな』になったのかもわからない。ピンポイントで「性欲」でいいのかどうか。「これとこれが同時にあるからそれは性欲」と矢晴は言ったから、矢晴の言う「性欲」が成り立つには条件が2つあることになる。純には「逃したくない支配欲」と「執着の過ぎた好意」があるのかどうか。執着の過ぎた好意は、確実にあるけども。
『実在する人間に欲情したことがない』に続く『〈それ〉』は「欲情すること」なのか。「性欲」=「実在する人間に欲情すること」でいいのかどうか。「誰かを特別に愛すること」のようにも思えるし、「人間と性行為をすること」のようにも思える。「家族」として「伴侶」がほしいだけなら、性行為は必要ないが、「自身の子供」が欲しいのなら「異性と性行為をすること」が必要になる。
『矢晴は…』『……あんな相手にも〈それ〉ができるのか』『相手の脳を再現することだよ』とここで「〈それ〉」=「相手の脳を再現すること」と言うけれど、私には矢晴が「四階の脳を再現して解き明かした」ようには思えないので、「〈それ〉」が本当に「相手の脳を再現すること」なのかどうかもわからない。
ここでは余談になるけれど、私には矢晴が言ったことが「人に嫌われる言動をすれば誰も助けてくれない、助けてくれない世間が悪い」と聞こえてくるし、そもそも矢晴も「助けない側」ではないか……? と思えるので(今病んでいて助けられる側であるということでなく)。実際なにをどう助ければいいのかもわからないが。本人の資質によるところを「不出来」として「矯正」すればいいのかどうか。矢晴の思い描く世界には、品行方正で博愛な善人しかいないのか? と極論に走りたくなる。
話を戻す。
純の言う「相手の脳を再現すること」がもしかしたら「共感」では……? と思ったけども、純は【第5話】で『人間ってあるあるネタとかモノマネ芸人が好きじゃない?』『共感することを好む生き物でしょ』と話しているので、純のなかに「共感」という言葉は存在して、ちゃんと使えているから、違うかな、と思う。
そしてその流れで『えー……』『もしかして先生って感情がない?』とアシに言われてものすごい形相になっているのが、改めて気になってきた。
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