性的指向
純、そもそも恋愛できるんか……? まで思っていたのが、【第16話】で、『実在する人間に欲情したことがない』と純自身が語るので、実際のところ、純の性指向はどこなのか……と、多彩に名称をつけられて区別区分され、名前が出来たことで世に認められ始めたセクシャリティのうんちゃらもんちゃらに、純のことも区分しなければならないのかどうなのか。と悩んでいる。
そもそもBL、同性愛についても昔の主流は「禁断の愛」であって、異常とされていたもの、という感じがある。今はかなり市民権を得たし、「禁断の愛」や「男なのに男を」的な表現はついぞ見かけない。当たり前の愛の形、みたいにはなっている。とても良い。
ただ、BLは「男性同性愛を描いた物語を女性が性的消費しているもの」であって、現実の同性愛者に寄り添うものではないという意識はずっとある。
さて、本題。
【第12話】での矢晴の病気の話で、私は「人はなんにでも名前をつけてわかった気になる」という話にも聞こえていた。から、純の指向がなんであるのか、についても「これがそうだ!」と決めつけたくはない。実際わからないし。
可能性がありそうないくつかの分類でいくと、
・恋愛感情も性的欲求も抱かないアセクシュアル。この場合、BL発展してしまうと、そちらの界隈から非難が起こりそうな気がする。
・流動的なグレーセクシュアル。この場合、これまではそう感じたことがないが、矢晴には、が成り立つ。
・性的欲求は抱かないが恋愛感情は抱くノンセクシュアル。この場合、恋愛発展は可能だけど、矢晴が欲求不満になりそう。
・強い絆で結ばれている人にのみ性的欲求を抱くデミセクシュアル。この場合、恋愛になるのかどうかよくわからんが、矢晴とより親密になれば性欲うんぬん出てくるかもしらん。
・強い絆で結ばれている人のみに恋愛感情を抱くデミロマンティック。この場合、矢晴とより親密になれば恋愛発展は可能だけど、矢晴が欲求不満になりそう。
ただ、結局、どれかに該当して、「純は〇〇」と名前をつけて分類されることになるわけよねえ……というのが、んん……となんとも言えない気分にはなる。
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