心象
【第16話】では、矢晴の心象、純の心象がそれぞれ背景に描かれて。
矢晴視点の通常回とも純視点の純曰くとも、ちょっと違うような……両方が融合したような……という気分にはなった。
「純曰くでも矢晴の心象、視点が挟まれる」のが毎度あるとするならば、ということで、これまでの純曰くを見返してみると。
私は当時そのコメントに対して懐疑的だったのだけども、【第6話】の最終ページ、上のコマが矢晴の見た純、下のコマが純自身の認識という説は正しいのかも……? とも思える。でも、前のめりになってた純が矢晴の反応にスンってなった感じだよなあ、と改めて見ても思うので、どっちが正解かはわからない。
【第13話・後編】の切れた縄について。切れた縄が矢晴の心象であるなら、縄は死の象徴として繰り返し出てくるので「死の選択がなくなった」とも、関係や気持ちの「断絶」とも読めるかもしれない。縄が絆であったら、絆が切れるとも読めるかもしれないけども、それ以降、矢晴の純への気持ちが急速に進んでいるような気はするので、「断絶」などといった絆が切れる方面ではない、気がする。
さて、【第16話】の矢晴と純のそれぞれの心象。
外で雨が降り出して。部屋のなかで話すふたりは浅い泥水に座っている。純がそれを掬って見ているのが、おもしろい。
矢晴にはかなり強い雨が降る。純には音が聞こえているが、降り注ぐことはない。届いていない。
最初は足首ほどの深さだった泥水は純の太腿ほどまでの深さに。純の心象ではその泥水に矢晴の言葉への歓喜か蓮の花が咲きはじめ。
純は蓮の花が咲く中、青空を見上げ、細工物のような蓮に埋もれて笑顔で矢晴を讃える。
そんな純への激昂からか矢晴にうちつける雨はさらに強くなり、その濁流が純を飲み込んだのか覆い隠してしまっただけか。
矢晴の激情に任せた言葉がだんだんと自身を責める言葉に変わっていき、水は引いていき……。
純の想像する矢晴の激情のイメージとするには、うちつける雨は矢晴を傷つけるもののように見えるので、違うと思うんだーという、私の純への盲信から、これは矢晴の心象、とか思っちゃってるわけだけど。
矢晴の言葉は、純の心象のなかで蓮の花として咲いていたんだろうな、というのが、『今の矢晴の言葉は』『病症がもたらした言葉かもしれない……?』の背景に泥水の水面に映り込んだような濁った感じの逆さの蓮の花で表現され、純が讃えていた言葉たちは真に矢晴の言葉であるのかどうか、を見せる。
純は、昔からの古印葵ファンだから、病んだ矢晴から出る言葉が嬉しい、好きってわけではないから、今回の「対話」でそれらを「古印葵の言葉」として喜んでしまっていた自分を反省して、『我欲に走って言葉をほしがって君を傷つけた』『私と一緒に住む君は不憫だ環境を変えよう』と潔く引き下がろうとするのが、男前すぎて惚れるわ。
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